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困窮に耐えて

 父の死後間もなく、母と私は、祖母の住むロサンゼルスの実家に引きあげました。父の病気で貯蓄は底をつき、生活の重みは母の肩にずっしりと重くのしかかってきました。けれども、気丈な母は、いつまでも悲しみに沈みこんではいませんでした。女手ひとつで私を育てあげるためには自らオーナーとなって、事業を興こさなければならないと決意したのでしょうか。それにしても見通しは険しく、道のりはあまりに遠く感じられたことでしよう,母が事業を興こすとすれば、

永年研究を続け、そしてその工場生産の可能性を見出した自然成分の化粧品の発売以外には考えられません。けれども、そのためには工場用地を確保しなければなりませんし、顧客層を確立しなければなりません。ゼロからスタートするのですから、為すべき仕事は山積しておりました。

 そんな私たちの生活ぶりを見て、イギリスにいる父の親族たちは、私をシーガー家の一員として、宮廷婦人として育てあげようと母に申し出ました。けれども母は、その無神経な申し出にたいそう腹を立て、「自分の娘の面倒は自分で見ます。アメリカで一流の作法で育てますから、どうか私たちにはかまわないでください」とはねつけたのでした。それでも、小さな子供というのはつねに手のかかるものであり、夜となく昼となく精内的に家事をこなしてゆく祖母の協力がなければかなわぬことであったに違いありません。

第2部少女時代へ

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