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すてきな日本人の友ポール

 学校には、最高に美しい花々でいっぱいのすてきな庭園がありました。ある特殊なつる草がとても成長していて、私の寝室の窓からも見えるほどなのですが、それは“アメリカン・ビュ―ティー”と呼ばれる大きくて深いピンク色をしたバラでした。私はこのバラとその豊かで深みのある色をこの上なく愛していたので、その色をスケッチブックにうつしたりしました。現花私のグウェン化粧品群の容器に見られる色は、その愛らしいバラの色と同じものなのです。

 私はけっしてその色を忘れることはありませんし、それにこの色には、また特別な意味がこめられてもいるのです。つまり、この色の美しさのすべての鍵を握っている男性は、ポール・ハットリという名のすてきな日本人でしたが、彼がこの庭園をとても美しく手入れしてくれたおかげで、それは落ち着いた美しい絵画そのものでした。そして、ポールと私はすてきな友達になったのです。もし私が数学の難問をかかえていれば、ポールがいつも私のためにそれを解いてくれましたし、私が病気になれば、いつでもポールは私に花束をもってきてくれました。その花束の中には、きまってあの私のバラがはいっていました。もし私かふさぎこんだり孤独だったりすると、ポールはいつも忙しい時間をさいて、私を元気づけてくれようとしました。彼はとても親切で思いやりがありました。彼ばかりか、彼の友人や身内の人すべてがとても親切でした。ポールのおかけで、いつも彼らから私を元気づけるための贈り物をもらったりしていましたから、私はすべての日本人を愛するようになったのです。母も組母も、やはりポールが大好きでした。そして毎年、私たちの大きなクリスマスパーティーにはいつも彼にプレゼントが贈られることになっていました。

 私と母がポールに関して最後に耳にしたことは、第二次世界大戦中、日本とアメリカとの戦いで日本に加勢するために彼が日本へ戻ってしまったということでした。けれども彼はアメリカを離れる前に母と私へのことづてをエリオットスクールに託していきました。そのことづてには、「私は私の祖国のために戦いたい。けれども、私はつねにあなたミセス・シーガーさんと、あなたのお嬢さんグウェンさんのことを気にかけています。」と書かれていました。私たちは、この愛情の表明にたいへん感動させられたのでした。

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